

武なおき
大阪市会議員/生野区
社会福祉士・ケアマネジャー
顔が見えるまちづくりで
すべてのひとに出番と居場所を!!
たけ
義理人情の生野と武なおき!
武なおき七転八倒、山あり谷ありでここまでまいりました!
1972年(昭和47年)12月26日生まれ。同志社大学大学院社会福祉学専攻博士課程(前期)修了。
29歳で2歳と3歳の子のシングルファザーとなり、子育ての大変さを身にしみて体験しました。「女性ってすごい」と理解すると同時に社会の課題にも気づかされました。生野の皆さんに助けていただきました。感謝です。14年前再婚し、3人目が8年前の選挙直前に生まれました。
くらしの声、現場の声を届けたいと市会議員選挙に挑戦するも2回落選。
1回目の落選直後、実家の祖父母が要介護中に、父が脳出血で倒れ、母が3人の介護状態に。2人の子どもを連れ岡山に8ヶ月帰郷。6年前には、伊丹で1人暮らしする義母が家に帰れなくなり伊丹署に保護され、次の日から突然同居が始まりました。当事者だからこそ気づけることがたくさんあります。
私は生野区社会福祉協議会でソーシャルワーカーとして7年間、多くの課題と向き合ってきました。日々の相談の中での「困りごと」は多種多様でした。
高齢者や障がい者、子どもなど、立場が弱くなりがちな人が生きにくいこと、誰にも頼れない孤独が存在すること、貧困など課題は山積していました。「声にならない声」を届けたい。より多くの人を救いたい。これらを真剣に考え抜いた結果が、市会議員を目指した動機です。
一念発起して挑んだ1度目の選挙は鮮やかに落選。それでもチャレンジした2度目も見事に落選。2度落選しました。
しかし、落選の度に応援していただける人が増えていくことに心が震えました。お金も組織も票もないのですが、熱意と信念だけは誰にも負けない自負のある私。3度目の挑戦で晴れて当選しました。当選した際は応援してくださったみなさんと一緒に泣きました。
現在は4期13年目です。「3回落選したらもうやめて」という妻との約束もあり、毎回背水の陣で挑戦しています。
私は、生野、大阪市に必要な枠組み作りのプロセスを「つなぐ」「コーディネート」することが天職と思えます。他の人には困難と思えることも私にはその役割を担えます。なぜなら、当事者として実生活を通じて感じてきた経験と、福祉の専門職として最前線で多くの課題と向き合ってきたからです。
困りごとの内容は様々であっても、出会いと役割をコーディネートすることで、お互いを理解しあい、課題解決の糸口が見えてきます。例えば、縦割りと揶揄される異なる行政担当者や当事者、団体などを同じテーブルに着いて議論し、課題解決に導いていく。そのようなことを繰り返してまいりました。このような取り組みの過程や皆さんとの対話を重視しながら政策集にまとめました。

これまでもこれからもみなさんと一緒に考え、小さな声、声なき声、多様な声を届け続けます。私の目指す生野はみんなの「出番と居場所」のある優しいまちです。
ありったけのチカラで、「市民が主役」の改革を進め、未来のために責任を果たして参ります。ともに進んでまいりましょう!!
2023年(令和5年)6月現在
武なおき